
納期目安:
06月10日頃のお届け予定です。
決済方法が、クレジット、代金引換の場合に限ります。その他の決済方法の場合はこちらをご確認ください。
※土・日・祝日の注文の場合や在庫状況によって、商品のお届けにお時間をいただく場合がございます。
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「懸其所仕之車置諸廟」漢詩文の落款
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる断層画像写真
閉じる左が源氏の君、右が明石の君
閉じる右が紫の上、左が女三の宮の模型
閉じる紫の上/明石の女御/女三の宮の演奏(女楽)
オススメ度 4.9点
現在、4659件のレビューが投稿されています。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。C61-094 太平義臣傳 八 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。祝賀弔祭演説 雄弁研究会 三星社出版部 ヴィンテージ ビンテージ アンティーク 古書 当時物 本 レア 大正ロマン レトロ スピーチ 本。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。聚興誠銀行 支票 漢口 中華民国 検索⇒銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 透かし 銀銭票 荘票。Y3B3-240517 レア[和歌布留能山不美 雑 文政]。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。C61-095 太平義臣傳 九 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。古文書時代鑑 上下セット。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。Y3B3-240517 レア[改正増補 文證大全 益永晃雲 名和竹堂 三版 完 明治30年 文証大全]博覧会見物ヲ約する文。舞楽 高麗楽 唐楽 倭唄 久米歌 神楽歌 平舞 武舞 走舞 童舞 文舞 青海波 太平楽 番舞 振鉾三節 長慶子 太鼓鉦鼓 答舞 万歳楽 延喜楽 明治期。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。高達折吉編『新撰活用字典 全』明治27年 翰香堂刊 印記「長野県北佐久郡平原尋常小学校印」明治時代和本(銅版本)漢字辞典。明治初期ビンテージ 古書2冊セット「上刕伊香保温泉名所旧跡 全」「新編伊香保土産B 三編上」1870〜1880年代 SMN604(7-5)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。三月堂 安藤正輝 安藤更生 昭2 仏教美術叢書 仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗臨済宗 戦前明治大正古書古文書OM。Y3B3-240510 レア[日本歴史画報 第5号 明治25年 松本楓湖 津江秋芳 大倉書店]上杉謙信塩を敵国に輸る図。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。Y3B3-240517 レア[女子新国語読本 巻4 昭和9年 1934年 安藤正次 東條操]菊池寛。0035320 度量衡考 上・下 全2冊揃 荻生徂徠 春秋堂(吉文字屋治良兵衛)享保14年序 狩谷斎 渋江道純。また、各巻ごとの書かれた年については不明。Y3B3-240510 レア[百人一首夕話 全9冊揃 享保4年 尾崎雅嘉 敦賀屋九兵衛 大石真虎]和泉式部。大蔵経曼荼羅和讃 大靖釈尊教會大日本護國本部 明治32 仏教 検)陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗 戦前古書和書NY。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。1948年 台湾銀行 條 検索⇒支票 銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印多 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 銀銭票 荘票。花押印彙 検索⇒ 金石篆刻 印存 法書道 封泥 朱印 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 丁敬 篆印 趙之謙 落款印 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。何苦楚 昭15 4巻7.8号 臨済宗 長岡参寥 禅宗 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 戦前明治大正古書OM。■『詞之緒』(Kotoba no itoguchi) 田近長陽(陽一郎)著。帙入4冊。■附録「田近陽一郎(傳)」付。■神代文字関連資料。。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。C61-090 太平義臣傳 五 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。古文書 江戸期 地所帳 市村 北海部郡 大分県。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。嘉永元年(1848年・干支→戌申)。■阿奈以知(anaichi)文字。神代文字論。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。■『神秘靈魂口よせの術』双龍軒先生(高田俊一郎)著。大正7年第6版凾付。後半「忍術魔法術」縷々詳述。。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。成親王萬个山房 経折本 遜記書荘 検索⇒玻璃版 原寸大 珂羅版 墓誌銘 支那 朱印譜 法書帖 金石篆刻 拓片 羅振玉 呉昌碩 拓本 翁方綱 董其昌。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。南無薬草応用法 西坂見明菩 昭9 弘法大師 経本 仏教 検)薬学漢方学東洋医学 浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 戦前OM。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。@kp044◆超希少本◆◇『 雅楽界 第48号 小野雅楽会創立80周年記念号 】◇◆ 小野雅楽会 昭和43年。四年の歳月が経過。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。C61-062 龍泉式靈息統一法講義授録 靈息統一学會発行 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。Y3B3-240517 レア[増注校正 頭書字彙 首・丑・申・午・戌巻 バラ まとめて5巻セット 鐫宣城梅誕生先生重訂字彙 鹿角山房蔵版]。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。Y3B3-240517 レア[広益正字通 鎌田環斎 加唐復斎 安政2年]。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。古文書 巻物 浄土真宗教義 写し 墨筆 江戸時代後期 仏教 法帖 写経 経文 蔵出 約2.3㍍ (親鸞 骨董品。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【象のあくび 象の欠伸】函付 有坂蔵 大正14年発行 帝国大学教授工学博士 海軍造兵中将 古書 戦前。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。弘法大師念仏秘事口伝 明治26 真言宗 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗 戦前明治大正古書和書古文書写本OI。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。『墨場必携』六冊 六巻 市川米庵 明治13年 川勝徳治郎翻刻 和本 古書 漢詩 ②E。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。『國文學十二種 佛語解釋』 (明治時代 仏教辞典) 【著者】織田得能【発行所】光融館。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。■『日本年表(「帝國紀年私案」改題版)』落合直澄著。明治21年上梓。神代文字「日本古代文字考」等を著す。。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。E05-051 配電用變電所の保守 カバー折れ・書き込み多数・全体的に汚れ有り レトロ。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。Y3B3-240517 レア[近世名家家集 上巻 続日本歌学全書 第7編 明治31年 佐々木信綱 東京博文館蔵版]水野忠邦。》
《「ねひまさり給ひに》・・・・けり」と、御覽すはかり、
用意くはへて、見えたてまつり給へと、事にふれて、教へきこえ給ふ。
「けに、かゝる御後見なくては、まして、いはけなくおはします御有樣、
かくれなからまし」と、人ゝも、見たてまつる。1932年 満洲国 写真帖 検索⇒事変 新京 奉天 関東軍閥 溥儀 総督府 鄭孝胥 馬賊 張学良 馬占山 生写真 古建築 中華民国 支那 帝国 張景恵。
正月廿日許になれは、空もをかしきほとに、風、ぬるく吹(き)て、お前の梅
も、さかりになり行く。大方の花の木ともゝ、みな氣色はみ、霞みわたりにけり。東亜銀行 支票 検索⇒銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印多 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 水印 透かし 銀銭票 荘票。
「月たゝは、御いそき近く、物さ音も、志かく(試樂)めきて、人いひなさむを。
此(この)ころ(頃)、志(し)つかなるほと(程)に、
こゝろ(心)み(見)給(たま)へ」
とて、志ん(寢)殿に・・・・・《わたしたてまつり給(たま)ふ。【古文書】蔵出し ■林羅山!江戸文政版『大学』道春点漢籍和本古文書■。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。昭和14/16初版帙凾付。嵐山社/丸善(株)發行。一部署名有。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《六条院の華麗な女性たち(紫の上、明石の君、明石女御、女三の宮)》
《朱雀院(前・朱雀天皇)の五十歳の御賀を兼ねて宮廷の豪華な祝宴の準備が進む》
《正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く》
《宮(女三の宮)は、二十一、二歳くらいにおなりであるけれど、相変らず
成熟したところがなく幼げな感じで、ほっそりと弱々しく、ただかわいらしい一方とおみえになる。
(源氏の君)「あなたは父君の院(前朱雀天皇)にお目にかかられぬまま
何年もたっているのですから、立派な大人に》・・・・・なられた、とごらんいただけるよう、
お心づかいしてお目通りなさいますよう」
と、殿(源氏の君)は、宮(女三の宮)に何かにつけてお教え申しあげなさる。深奥山方廣萬寿禅寺再入寺 開堂拙語 安政5 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。
(女三の宮お付の女房)「なるほど、このような行き届いたお世話役がいなかったとしたら、
なおさらのこと、幼くていらっしゃるご様子が隠れようもなかろうに」
と女房たちも拝している。
《十六・正月、女三の宮、紫の上、明石女御による女楽を開催し夕霧をその席に招く》
正月の二十日ぐらいになると、空も晴れやかに、風もなま暖かく吹いて、
御前の梅も今を盛りと咲いている。和本 天明四年 通俗西遊記 後編 (五冊) 一上下・二・四上・六 【京都書林 丸屋市兵衛】 【江都書房 前川六左衛門 遠州屋清右衛門】。
そのほかの花の木々も、みなほんのりと蕾(つぼみ)がふくらんで、
あたり一面に霞(かすみ)が立ちこめているのだった。殿(源氏の君)は、
(源氏の君)「月が変れば、御賀の準備が近づいて、何かと落ち着かなくなるでしょうし、
そんなときに合奏なさるのではお琴の音も、御賀の試楽でもしているように世間から
取り沙汰されましょうから、このところの静かな折に弾いてみてくだされ」
とおっしゃって、殿(源氏の君)は、対の上(紫の上)などを、宮(女三の宮)のおられる寝殿に・・・・《お連れ申される。満洲彩色地図 鳥観図 俯瞰図 検索⇒新京 奉天 関東軍閥 溥儀 総督府 南満鉄 馬賊 張学良 馬占山 生写真 古建築 中華民国 支那 帝国 安東県。》
備考:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。C61-064 浪六著 常世五人男後篇 蔵書印・書き込み・全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。Y3B3-240517 レア[明治聖典 大正13年 木村正]明治天皇御製。
《New Herbs Part Two(若菜・下)》
"You must show him what a fine young lady you have become."
Her women silently thanked him.
That she had grown up at all was because of the trouble he had taken with her.
Late in the First Month the sky was clear and the breeze was warm,
and the plums near the veranda were in full bloom.
In delicate mists, the other flowering trees were coming into bud.
"From the first of the month we will be caught up in our final rehearsals,"
said Genji, inviting Murasaki to the Third Princess's rooms.
"The confusion will be enormous, and we would not want it to seem
that you are getting ready to go with us on the royal visit.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・下》
“!若非大人如此悉心管教,那孩子脾气就更加不能藏了。”
正月二十日左右,天色晴朗,和日暖。C66-10 9 新式速成 囲碁独習書 破れ・全体的に汚れ有り レトロ。庭前梅花盛,
其他春花亦皆含苞,四周春云迷。源氏言道:“出了正月,便准祝寿,
大家都要忙了。Y3B3-240517 レア[新訳 日本外史 昭和11年 1936年 津田正男]。到那行琴筝合奏,外人将演,便多麻。
不如就在此悄悄地行。資治通鑑 全100冊 294巻 明治新刻 東京印刷会社版。”便邀明石女御、紫夫人、明石夫人等都到
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。Y3B3-240510 レア[日本歴史画報 第7号 明治25年 松本楓湖 津江秋芳編 大倉書店]真田幸村突戦の図。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。い52-037 松月堂古流 日本生花司 伝書 解説付。正式な名は伊達貞子。2つとも貞子の印。1940年 英商麦加利銀行 小切手 検索⇒支票 銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 銀銭票。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。K3C3-240530 レア[新刻 太平記 貞享5年刊 バラまとめて11冊セット]藤井寺合戦事 住吉合戦事。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。本■生花独稽古 諸流秘傳 巻一、二、三 3冊セット 和本 華道 古書 古美術 時代物 骨董品■。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。農具便利論 全3冊 大蔵永常 和本 農業 【A14】。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―26B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。C66-114 北海道水産試験場要覧 全体的に汚れ有り レトロ。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。奥州出若宮丸漂流実記。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。羽鳥文作旧蔵書 清水浜臣編『近葉菅根集』(全5冊揃)文化12年刊 森鴎外「羽鳥千尋」のモデルとなった羽鳥千尋の父 江戸時代和本。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。武門要鑑抄。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。田中菊雄編『頭書明治五百題俳諧俳諧手提燈 全』明治17年 柏原徳造刊(伊豆大島泉津村)明治時代和本 銅版刷俳諧類題句集 俳句 俳書。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。山内神斧(山内金三郎)『寿寿』(第1期・全6輯揃)限定50部 大正3年 吾八版 郷土玩具図譜 中国・ロシア・東南アジア・西洋のおもちゃ画譜 壽壽。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。☆E0293大正14年(1925)古地図「大正最新樺太精図」1点/嵯峨野彦太郎/小島大盛堂。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。北園克衛『天の手袋』昭和8年 春秋書房刊(初版本) 芸術論集。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。谷村光義著 壺井義知校『建武年中行事略解』(全5冊揃)享保17年 茨城多左衛門 江戸時代和本 後醍醐天皇『建武年中行事』註解書 有職故実書。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。★Z53和本江戸天保3年(1832)馬嶋流眼科写本「尾州大智房眼科書」1冊/古書古文書/手書き。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。金工鑑定秘訣 天地セット揃い 大正6年(1917) 松山堂版/藤井利八/後藤家刀装具/野田敬明/高瀬伴寛/野田政明画/千形仲道/江戸和本/B3227769。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。松山棟庵『地学事始』(全3冊揃)明治3年 慶應義塾蔵版 彩色木版画多数入(世界図・国旗)明治時代和本 古地図。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。川畑契水『皷胴集 上巻』大正11年 芸艸堂刊 彩色木版画譜 雅楽器・神事用小鼓など全25図 鼓胴集 太鼓 神道資料 和楽器 漆工芸 漆芸。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。『雍府画帖』(全3冊揃)明治30年 芸艸堂刊 彩色木版画譜 京都名所画譜 竹内栖鳳、菊池芳文、山元春挙、谷口香喬ら。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。1921年 北京 写真多数 北京現地刊行 検索:順天府 皇城 角楼 四九城 軍閥 溥儀 総統府 蒋介石 馮玉祥 北平 生写真 古建築 中華民国 支那電影。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。旧約聖書 小預言書講解 2冊揃 堀内文一 日本自由メソジスト教会 キリスト教 新約聖書旧約聖書 検)神学宗教学カトリック プロテスタントOA。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【非売品/戦前】『赤城義臣伝 慶応4年補刻版』全5冊揃い●片島深淵子著●田尻種経●大正5年発行●検)赤穂義士赤穂浪士江戸時代忠臣蔵資料。
源氏物 Yunsh wy 典的 Jngdin de不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定