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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)上」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。現在の今上天皇と系譜がつながっている。井上勤翻譯。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。従って、応永五年とは、書き始めの年である。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。大正14年刊。C60-025 日用百科全書 第二編 茶の湯と生花 折れ 破れあり。C61-091 太平義臣傳 十 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。■『嘉永刪定神代文字考(全)』鶴峯戌申著。。竹生英堂發兌。0035318 首書 詩経集註 巻1-7 7冊 (巻8欠) 朱熹集伝 江戸刊。和本 江戸時代 通俗西遊記 初編 (六冊) 一~六。Y3B3-240517 レア[和歌布留能山不美 秋冬]。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 天保2 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗NY。C61-093 太平義臣傳 七 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。亞墨利加一件諸家上書・亞美理駕合衆國江使節聞書・亞墨利加風聞書・應接假條約ノ趣無閑儀次第。い59-010 第一期 4 西村白烏 柳亭種彦煙霞綺談 柳亭種彦 柳亭筆記 吉川弘文館。城取膚団軍艦 文化10年 兵法書写本 江戸時代 攻城戦 上杉謙信武田信玄 武道剣術戦国時代合戦戦国武将兵学軍学軍事甲冑越後流甲州流OB。★0485和本天保3年(1832)「馬島流眼科医学写本」5冊/津軽/進藤良策/尾州馬島明眼院/古書古文書/手書き。張華撰『正続博物志』(全二十巻揃)天和3年刊 江戸時代和本 東洋医学 本草学 博物学 唐本漢籍和刻本 北里柴三郎子息/北里文太郎旧蔵書。C61-069 大岡仁政録 壱二 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。C61-075 少年世界 遠足會 記名塗り潰し・全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。著者は国学者・落合直亮の実弟。1948年 天津隆遠銀號 支票 検索⇒銀票 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 水印紅印 銀銭票 荘票。和本「瑩山禅師著 伝光録」2冊揃 明治18年 瑩山紹瑾 仏書 禅書 釈迦から懐奘までの曹洞宗歴代祖師の伝記集 古文書。古い白帖 短冊帖 大型 両面 無地 3連 全50面 絹地 重厚 金縁 折本 画帖 書道 絵画 手習い 和本 古書 古筆切 和紙 古文書 古典籍。Y3B3-240517 レア[唐宋連珠詩格 乾]唐宋千家聯珠詩格。『訓閲集』(きんえつしゅう)は大江家と多田源氏に伝わったとされる軍学書!江戸後期ビンテージ 訓閲集軍氣巻 書三巻 古書 SMN604。■詩集『地球を弔ふ』及『AnElegyOnTheEarth~英譯「地球を弔ふ」』中山忠直著。。Y90L3-240403 レア[師範漢文 新制版 巻2 簡野道明]橋本左内。戦時 横濱正金銀行 青島支店 小切手 検索⇒支票 銀票 銀号 銭荘 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 北平 満洲帝国 満鉄 水印 銀銭票 荘票。蒋介石 書道 対聯 工藝品 中正 検索:満蒙 新京 奉天 関東軍閥 溥儀 総督府 南満鉄 馬賊 張学良 馬占山 生写真 古建築 中華民国 支那 帝国。C64-018 新国語図録 破れ有り。行草大字典 1函6冊全 書学会編纂 唐本漢籍 原封套 検索⇒ 戦時輸入本 線装本 支那 中華民国 白棉紙 宣紙 書道 法書法 碑刻法帖 拓本 朱印譜。i-311 ※4 / 神學博士/フランシス・ゼ・ホール著 神學博士/稻垣陽一郎譯 教會レユニオン運動と聖公會 聖公會出版社 昭和5年5月5日発行。旧蔵 古書 《胡氏老中醫》一套四本 宣紙 稀少珍品 中国古美味 古美術 L0420。い32-048 書盡大觀 大正5年12月24日発行。明治期ビンテージ 中央新聞付録 錦城斎 貞玉講演「官員小僧」 壱〜大尾 全14部構成 TTH605。和本 絵本太閤記 初編 全12冊 寛政九年 法橋玉山絵 昌盛堂蔵。安心決定鈔講話 是山恵覚 年大正5 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗 戦前明治大正古書和書古文書写本OI。旧家蔵出 激レア 絶版 古書 易学小筌 新井白蛾 箸を取の口博書? 時代資料 歴史 江戸時代 (検:風水四柱推命学易学家相学占星学卜占。C61-071 紋の志をり 全体的に汚れ・折れ多数有り・状態悪い レトロ 貴重。い58-047 松村明 大辞林 三省堂。い52-036 五體字類 鳴寉老久署寿 書き込み押印あり。戦時中の貴重な本 第二回・聖戦美術展集/昭和16年/陸軍作戦記・日本画・洋画・彫刻 戦時中の本 古文書 貴重 古書 和書 戦争。大正大震災大火災 大日本雄弁会講談社 大正12 ビンテージ アンティーク ヴィンテージ 当時物 関東大震災 震災 歴史 本。人見竹洞詩文集 日本古典 近世 漢詩文集。C66-112 北海道水産製造加工品銘鑑 東亜水産新聞社 全体的に汚れ有り レトロ。深奥山方廣萬寿禅寺入寺拙語 安永8 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞OI。陶心雲臨龍藏寺碑 隷書 文明書局 検索⇒玻璃版 原寸大 珂羅版 墓誌銘 支那 朱印譜 法書帖 金石篆刻 拓片 羅振玉 呉昌碩 拓本 翁方綱 董其昌。E05-057 電気工学原論 上巻 全体的に汚れ有り レトロ。和本 文政六年 通俗西遊記 四編 (七冊) 一~六下 【大阪書林 河内屋長兵衛】。Y3B3-240517 レア[凌滄集 下 大正13年 精研閣]旅順 奉天。Y3B3-240510 レア[日本歴史画報 第8号 明治25年 大倉書店 松本楓湖 津江秋芳]織田信長。C61-092 太平義臣傳 十三 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。楽しい我が家のお料理 櫻井ちか子 実業之日本社 大正ロマン ヴィンテージ アンティーク ビンテージ 古書 本 大正 当時物 レア 料理本。1932年 陶山紀事 小野賢一郎 民友社 再版 陶器全集 検索⇒ 支那 瑠璃盃 珂羅版 原色図鑑 金石篆刻 青花瓷 影青瓷 宋瓷 官窯 民窯 朱印 図譜。0035290 古文書 防府市? 玉井政右衛門・庄作 慶応2年から明治中期 向山 佐野焼。「延安一月 新民報文藝叢書之六」1冊 趙超構著 新民報社出版 民国35年 和本唐本古書漢籍書道碑法帖 希少。太宰治『誰も知らぬ』昭和23年 ロッテ出版社刊 初版本。長谷川伸旧蔵書 吉野真保著『嘉永明治年間録』(全十七巻二十冊揃)明治16年 我自刊我書/古書保存書屋/甫喜山景雄刊 明治時代和本。佛説観無量寿経 江戸期 木版刷 検索⇒ 金剛経 経折本 佛経 写経 藏経洞 古籍善本 唐本漢籍 支那 敦煌 彫版 刻経 木刻本 白棉紙 清朝 経書経。『洲之内徹小説全集 特装版』(全2冊揃)限定200部 1983年 東京白川書院刊。H/拳闘の知識と見方 昭和拳闘倶楽部編 聖書房 昭和7年初版。蔵書票48枚『愛書票暦』(4年間分)1981~84年 クリフトン・カーフ 武井武雄 大本靖 梶山俊夫 宮下登喜雄 馬渕聖 萩原英雄 佐藤米次郎ら。速水春暁斎著 森川保之画『大日本年中行事大全』(全6巻3冊揃)蓍屋宗八刊 江戸時代和本。送料無料 吉備古瓦図譜 第2輯 玉井伊三郎 限定200部 昭和16年 古瓦 残欠 仏教美術 神社仏閣 検) 奈良 白鳳 天平 飛鳥 和本 古文書 仏像。『皇漢名人書画帖 全』明治13年 宮崎熊吉刊 彩色木版画譜 明治時代和本 頼山陽 大倉雨村 渡辺崋山 姫島竹外 望月玉渓 田能村竹田ら。★0470和本江戸元文2年(1737)神道写本「神宮秘伝問答」1冊/甲斐国山梨郡乙川戸村/日原政峰/古書古文書/手書き。貝原益軒『花譜 巻之上』元禄7年序刊 青山花茂本店旧蔵書(印記「花茂本店北野家図書印」)江戸時代和本 本草学書 植物学書 花書。和本「一休和尚 佛鬼軍 全」天保5年 十念寺十八世/澤了書之 27丁 絵入 木版摺 地獄絵図 鬼神 菩薩 霊界合戦 異本 (江戸 仏画 古文書。11/17(木) 元稹 行宮 | サワラ君の日誌。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。E03-021 若竹 臨時号 紀元二千六百年記念文集 北海道私立小樽水産学校校友會。日中戦争 生写真集 満洲帝国 支那軍 中華民国 八路軍 新四軍 新京 関東軍閥 溥儀 総督府 南満鉄 馬賊 張学良 馬占山 古建築 歴史 国民党軍。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。印判秘決集 全。い52-041 近世名流大家 真蹟書翰選集。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。■『人肉質入裁判(全)』英國西基斯比亜氏(Shakespeare)原著。明治20年鶴鳴堂發兌。■日本で最初に翻刻の第3版。。大正ビンテージ 開成館 普通教育世界地図 全 教科書 教材 古書 大正4年12月20訂正11版発行 TTH605。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。C61-094 太平義臣傳 八 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。祝賀弔祭演説 雄弁研究会 三星社出版部 ヴィンテージ ビンテージ アンティーク 古書 当時物 本 レア 大正ロマン レトロ スピーチ 本。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。聚興誠銀行 支票 漢口 中華民国 検索⇒銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 透かし 銀銭票 荘票。Y3B3-240517 レア[和歌布留能山不美 雑 文政]。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。C61-095 太平義臣傳 九 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。古文書時代鑑 上下セット。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。Y3B3-240517 レア[改正増補 文證大全 益永晃雲 名和竹堂 三版 完 明治30年 文証大全]博覧会見物ヲ約する文。舞楽 高麗楽 唐楽 倭唄 久米歌 神楽歌 平舞 武舞 走舞 童舞 文舞 青海波 太平楽 番舞 振鉾三節 長慶子 太鼓鉦鼓 答舞 万歳楽 延喜楽 明治期。また、各巻ごとの書かれた年については不明。高達折吉編『新撰活用字典 全』明治27年 翰香堂刊 印記「長野県北佐久郡平原尋常小学校印」明治時代和本(銅版本)漢字辞典。明治初期ビンテージ 古書2冊セット「上刕伊香保温泉名所旧跡 全」「新編伊香保土産B 三編上」1870〜1880年代 SMN604(7-5)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。三月堂 安藤正輝 安藤更生 昭2 仏教美術叢書 仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗臨済宗 戦前明治大正古書古文書OM。Y3B3-240510 レア[日本歴史画報 第5号 明治25年 松本楓湖 津江秋芳 大倉書店]上杉謙信塩を敵国に輸る図。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。Y3B3-240517 レア[女子新国語読本 巻4 昭和9年 1934年 安藤正次 東條操]菊池寛。0035320 度量衡考 上・下 全2冊揃 荻生徂徠 春秋堂(吉文字屋治良兵衛)享保14年序 狩谷斎 渋江道純。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。Y3B3-240510 レア[百人一首夕話 全9冊揃 享保4年 尾崎雅嘉 敦賀屋九兵衛 大石真虎]和泉式部。大蔵経曼荼羅和讃 大靖釈尊教會大日本護國本部 明治32 仏教 検)陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗 戦前古書和書NY。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。1948年 台湾銀行 條 検索⇒支票 銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印多 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 銀銭票 荘票。花押印彙 検索⇒ 金石篆刻 印存 法書道 封泥 朱印 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 丁敬 篆印 趙之謙 落款印 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。何苦楚 昭15 4巻7.8号 臨済宗 長岡参寥 禅宗 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 戦前明治大正古書OM。■『詞之緒』(Kotoba no itoguchi) 田近長陽(陽一郎)著。帙入4冊。■附録「田近陽一郎(傳)」付。■神代文字関連資料。。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。C61-090 太平義臣傳 五 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)上」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。古文書 江戸期 地所帳 市村 北海部郡 大分県。若菜の巻名は、「小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき」に因む。嘉永元年(1848年・干支→戌申)。■阿奈以知(anaichi)文字。神代文字論。源氏の君の兄・朱雀院(前朱雀天皇)は六条院の行幸直後から体調を崩し出家しようとするが、後見人の居ない愛娘・女三宮の将来が心配で躊躇している。■『神秘靈魂口よせの術』双龍軒先生(高田俊一郎)著。大正7年第6版凾付。後半「忍術魔法術」縷々詳述。。婿選びに思い悩んだ末、朱雀院は源氏の君に女三の宮を託すことを決心、源氏も承諾した。年が明けて二十三日、源氏の四十の賀が盛大に行われる。成親王萬个山房 経折本 遜記書荘 検索⇒玻璃版 原寸大 珂羅版 墓誌銘 支那 朱印譜 法書帖 金石篆刻 拓片 羅振玉 呉昌碩 拓本 翁方綱 董其昌。二月に女三宮が六条院に降嫁した。翌年三月には明石の女御(源氏の娘)が東宮(皇太子・後の帝)の男御子を出産。南無薬草応用法 西坂見明菩 昭9 弘法大師 経本 仏教 検)薬学漢方学東洋医学 浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教 戦前OM。それからしばらくして、突然冷泉帝が東宮(後の帝)に譲位した。一方、かねて女三宮の降嫁を切望していた柏木(内大臣の息子)は、その後も未練を残していた。@kp044◆超希少本◆◇『 雅楽界 第48号 小野雅楽会創立80周年記念号 】◇◆ 小野雅楽会 昭和43年。三月末、六条院の蹴鞠(けまり)の催しに訪れた柏木は、飛び出してきた唐猫の仕業で上がった御簾の奥にいる女三宮の姿を垣間見てしまう。それ以降、柏木はますます女三宮への思いを募らせていく。C61-062 龍泉式靈息統一法講義授録 靈息統一学會発行 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。源氏の君、39歳から41歳までを描いている。
自筆上部の「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。Y3B3-240517 レア[増注校正 頭書字彙 首・丑・申・午・戌巻 バラ まとめて5巻セット 鐫宣城梅誕生先生重訂字彙 鹿角山房蔵版]。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)上の巻》
「若菜・上」の巻は英文で「New Herbs Part One」と表記されます。Y3B3-240517 レア[広益正字通 鎌田環斎 加唐復斎 安政2年]。
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という、中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた「白氏文集」の漢詩文の落款が押捺されており、この漢詩文は「若菜・上」の原文中から引用されている。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。古文書 巻物 浄土真宗教義 写し 墨筆 江戸時代後期 仏教 法帖 写経 経文 蔵出 約2.3㍍ (親鸞 骨董品。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部のタテ長の印は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」は、
中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた漢詩文の落款。【象のあくび 象の欠伸】函付 有坂蔵 大正14年発行 帝国大学教授工学博士 海軍造兵中将 古書 戦前。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。弘法大師念仏秘事口伝 明治26 真言宗 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗 戦前明治大正古書和書古文書写本OI。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」若菜・上(わかな)の巻》
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という若菜・上の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。『墨場必携』六冊 六巻 市川米庵 明治13年 川勝徳治郎翻刻 和本 古書 漢詩 ②E。》
《たひたひになりぬれは、口》・・・・おしくおほ(思)しとまりぬ。
[9-5 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷]
師走の二十日余りのほとに、中宮まかてさせたまひて、
今年の残りの御祈りに、奈良の京の七大寺に、御誦経、布四千反、
この近き都の四十寺に、絹四百疋を分かちてせさせたまふ。『國文學十二種 佛語解釋』 (明治時代 仏教辞典) 【著者】織田得能【発行所】光融館。
ありかたき御はくくみを思し知りなから、 何ことにつけてか、
深き御心さしをもあらはし御覧せさせたまはむとて、
父宮、母御息所のおはせまし御ための心さしをも取り添へ思すに、
かくあなかちに、おほやけ(朝廷)にもき(聞)こえかへ(返)させ
給(たま)へは、ことゝもおほ(多)くとゝめさせ給(たまひ)・・・《つ。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。■『日本年表(「帝國紀年私案」改題版)』落合直澄著。明治21年上梓。神代文字「日本古代文字考」等を著す。。
《「源氏物語」若菜(わかな)・上の巻》
《秋好中宮が源氏の君の四十の賀の豪華絢爛な祝宴を開催》
《「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の元になる個所》
《帝(冷泉天皇)は、今年のこの源氏の君の四十の御賀に事寄せては、
行幸などもなさりたいとご計画あそばしたのであったが、殿(源氏の君)は、
(源氏の君)「世間の迷惑になるようなことは、けっしてなさいませんように」
と、たびたびご辞退申されたので、》・・・・帝(冷泉天皇)は四十の御賀への行幸は
残念ながらお思いとどまりになった。E05-051 配電用變電所の保守 カバー折れ・書き込み多数・全体的に汚れ有り レトロ。》
〔二十二・秋好中宮、源氏の君の饗宴を開催する〕
十二月の二十日過ぎのころ、中宮(秋好中宮)が宮中よりご退出あそばして、
今年の残りの御祈願として、奈良の都の七大寺にお布施として布四千反、
この近くの京都の四十の寺に、絹四百疋を分けてご奉納になられる。
またとないご養育のご恩を十分お分りになっていらっしゃりながら、
今まで格別のこもせずに過してこられたので、この機会をはずしてはなんの折に
深い感謝のお気持をはっきりごらんいただけようか、とお思いになって、
父宮(前の皇太子)と母御息所(六条の御息所)がもしご存命であったなら
こうもしてさしあげたであろう報恩の気持までをもお添えになって、
盛大にとお考えであるが、院の殿(源氏の君)が帝(冷泉天皇)に対してさえもこうして
強くご辞退申しあげなさったのであるから、あれこれのご計画を
大部分おとりやめになったのである。Y3B3-240517 レア[近世名家家集 上巻 続日本歌学全書 第7編 明治31年 佐々木信綱 東京博文館蔵版]水野忠邦。殿(源氏の君)からも、・・・・
《(源氏の君)「四十の賀ということは、先例を耳にしましても、そのあと残りの齢を
いつまでも保つ例はそう多くなかったのですから、》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。1932年 満洲国 写真帖 検索⇒事変 新京 奉天 関東軍閥 溥儀 総督府 鄭孝胥 馬賊 張学良 馬占山 生写真 古建築 中華民国 支那 帝国 張景恵。
《New Herbs Part One(若菜・上)》
Back at Rokujo towards the end of the year,
Akikonomu arranged the final jubilee observances,
readings at the seven great Nara temples and forty temples in and near the capital.
To the former she sent forty bolts of cotton and to the latter
four hundred double bolts of silk.
She was much in Genji's debt, and never again would
she have such an opportunity to show her gratitude.
She wanted everything to be as her late mother and father would have had it;
but since Genji's wish to avoid display had frustrated even the emperor's hopes,
she limited herself to a small part of what she would have wished to do.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・上》
冷泉帝只得然作。
十二月二十后,秋好皇后六条院。【古文書】蔵出し ■林羅山!江戸文政版『大学』道春点漢籍和本古文書■。
要在年父源氏祝寿,特奈良七大寺僧,
布施布匹四千段;又京都附近四十寺僧,布施四百匹。昭和14/16初版帙凾付。嵐山社/丸善(株)發行。一部署名有。
秋好皇后感源氏育之恩,欲乘此机会向他表示真的孝心。1934年 剣術教範 陸軍省検閲済 検索⇒ 武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀剣術 範士 関東軍 傳書 戦陣 甲冑 弓箭 弓道 支那 武士道 殺人剣。
又念父前皇太子及母六条妃子如果在世,一定也感他,
所以又着代父母祝寿之意。但源氏朝廷的祝寿也曾固辞,
故秋好皇后不便,只得将多原定去。深奥山方廣萬寿禅寺再入寺 開堂拙語 安政5 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。
源氏道:“我考前代事例,
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・上の巻の末尾(原本番号108-B)の押印。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。和本 天明四年 通俗西遊記 後編 (五冊) 一上下・二・四上・六 【京都書林 丸屋市兵衛】 【江都書房 前川六左衛門 遠州屋清右衛門】。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。満洲彩色地図 鳥観図 俯瞰図 検索⇒新京 奉天 関東軍閥 溥儀 総督府 南満鉄 馬賊 張学良 馬占山 生写真 古建築 中華民国 支那 帝国 安東県。正式な名は伊達貞子。2つとも貞子の印。C61-064 浪六著 常世五人男後篇 蔵書印・書き込み・全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。
左上端の細長い落款は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩文の印。Y3B3-240517 レア[明治聖典 大正13年 木村正]明治天皇御製。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。C61-073 普通読本一編上 高橋熊太郎編 記名塗り潰し有り・全体的に汚れ多数有り レトロ。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。C66-10 9 新式速成 囲碁独習書 破れ・全体的に汚れ有り レトロ。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・上の巻)MRI 34―66B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・上の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・上)」東京国立博物館所蔵
猫が開けた御簾(みす)の隙間から、柏木が女三宮を目撃する「若菜・上」の有名な場面
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。1947年 株式会社志城銀行 支票 検索⇒銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 小切手 荘票。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。會津戊辰戦争 白虎隊 娘子軍 高齢者之検討 増補 歴史資料 会津 会津藩 復刻版 古書 歴史書 昭和 大正 明治 慶応 幕末。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。太田櫛朝筆 小池源次郎彫 福山碧翠撰『坂神聯合第二回燐票大会』大正9年 神戸互楽会刊 彩色木版画譜 神戸放光庵 燐票愛好会 マッチラベル。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。C61-068 絵入 人情雑誌 書き込み・全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。明治廿年 訴訟法草案 法律 裁判 訴訟 関係資料。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。羽鳥文作旧蔵書 清水浜臣編『近葉菅根集』(全5冊揃)文化12年刊 森鴎外「羽鳥千尋」のモデルとなった羽鳥千尋の父 江戸時代和本。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。図録 泉屋博古 検索:青銅器 支那 銅鏡 法書道 碑帖 骨董 拓本 拓片 珂羅版 原色 印譜 石鼓文 金石篆刻 鐘鼎文 青花瓷 影青瓷 宋瓷 武器武具。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。武門要鑑抄。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。田中菊雄編『頭書明治五百題俳諧俳諧手提燈 全』明治17年 柏原徳造刊(伊豆大島泉津村)明治時代和本 銅版刷俳諧類題句集 俳句 俳書。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。山内神斧(山内金三郎)『寿寿』(第1期・全6輯揃)限定50部 大正3年 吾八版 郷土玩具図譜 中国・ロシア・東南アジア・西洋のおもちゃ画譜 壽壽。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。経文 御文章 和本-写本 文明6-8 文明6-8。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。関野準一郎『飛騨遊記』限定100部 昭和26年 私家版 オリジナル木版画絵本。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。森琴石編『皇朝清国名家画帖 全』明治13年 吉住音吉他刊 彩色木版画譜 明治時代和本 中国絵画 中国美術 日本美術 文人画 南画。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。☆E0293大正14年(1925)古地図「大正最新樺太精図」1点/嵯峨野彦太郎/小島大盛堂。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。北園克衛『天の手袋』昭和8年 春秋書房刊(初版本) 芸術論集。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。★Z53和本江戸天保3年(1832)馬嶋流眼科写本「尾州大智房眼科書」1冊/古書古文書/手書き。
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